昨日、いじめ問題をテーマにしていたテレビ番組を見ました。女性タレントが「私は小中学校の時○○菌」と言われていじめられてたと語った。
私は、子供の頃周りでいじめを目にはしたが、私自身はいじめられもしないし、いじめもしなかった。と思っていたが、このタレント話を聞いて思い出した。私の子供の頃も「○○菌」と呼ばれていた女の子がいた。私は、なぜそうなったのは知らないが、体育の時間に、その子が触ったバレーボールを「そのボール3秒持つと ○○菌に感染するぞ!」と言われ、みんなと一緒になって、騒いだ覚えがある。
ニュースのいじめや虐待でも、加害者や親は「ちょっとからかっただけ、プロレスごっこ、躾、教育」という。
「私はいじめられていた」と言う話は聞くが、「私はいじめていた」とはあまり聞かない。本来、いじめは少数の人間に対し、多数の人間が行なうことであって、いじめられた人がいれば、その5倍、10倍はいるはずだ。
「私はいじめていた」とは言い難いのもあるが、いじめている側は、あまり意識しないうちに、加害者になっている場合が多いのではないかと思う。
以前、顧問先の300人位の会社で、管理職を集めた研修会を行なった。その時、1人の女性が「パワーハラスメント」を受けていると言い出し、一方その加害者と言われた男性が「パワハラの定義を履き違えてる」といい、熱を帯びた議論となった。(私は、頭ごなしにパワハラを否定する男性をみてて、まさにパワハラそのものに見えた。)
相手が「パワーハラスメントだ!」感じていればそのなかもしれない。たしかに、過剰反応かもしれないが、ただ否定しするだけではなく相手の思いを聞き、誤解ならば話し合うのが解決策かもしれない。
本当に人間は、自分自身のことは見えないものだと感じる、今日この頃です。
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